曲作りが難航し貧乏に…!生活費のためにやむなくキャッシングした

「この曲ってなんか、どこかで聞いたことない?」。今も昔も繰り返される、盗作騒動。

90年代半ば、音楽シーンの中心は、ダンサブルで派手なコンピューターサウンドでしたが、その対極にあるアコースティックでメロディアスな、渋谷系という、さわやかでオシャレなポップスが一部の人々の熱狂的な支持を受けてもいました。その渋谷系サウンドは、60年代、70年代、日本国内では知る人ぞ知るという世界だった、洋楽ポップスの焼き直しと言われていて、今現在のアーティストのクレジットのついたもの、原典と言われるものとの違いは、英語で歌われているか、日本語で歌われているかの違いくらいで、しかし、それは盗作、パクリとは呼ばれず、オマージュという形で扱われることに、不思議な印象を抱いていたものでした。

勝田学さん(仮名・30歳)は、路上ミュージシャン。数年前までは、中堅ゲーム会社の企画開発の仕事に携わっていました。高校時代、バンドでボーカルをやっていたという勝田さん。あるときから、「歌いたい」という気持ちが抑えられなくなり、朝方、駅のコインロッカーに預けておいたギターを仕事帰りに取りに行っては、路上で歌う日々を続けていました。そのうち、固定ファンがついてきて、インディーズでのCD発売の話も決まり、会社には退職届を出しました。勝田さんと同世代の温厚な社長は、「気が向いたら、また社に戻ってきて」と快く、勝田さんの背中を押しました。

その頃の勝田さんは、アイデアの塊で、次から次へと新しいメロディを紡ぎ出すことができたのだそう。勝田さんの歌ったCDはほとんど売れなかったのですが、インディーズレーベルの社長は、勝田さんの楽曲が気に入り、勝田さんはしばらく某インディーズバンドの楽曲を、ゴーストライターとして提供していました。自身も路上で歌ってはおり、それなりの固定ファンもいましたが、自分の作曲したものが、他人に演奏され、多くの人の元に届くことの方がより嬉しかったと言います。

あるとき、メロディをつくりながら、「これはどこかで聴いたことがある…」と自身で気づき、ハッとしたのだと言います。また楽曲を提供していたインディーズバンドも、ネット上で「○○のパクリじゃねえか」と叩かれているのを目にして、「自分にはまるで才能なんかない。昔どこかで聞いた曲をただ単につなぎ合わせていただけだ…」とおそろしくなり、作曲をすることができなくなってしまいました。

今までは、楽曲の提供などである程度の収入がありましたが、それがなくなり、あっという間に生活費が尽きてしまい、やむなくキャッシングをしました。キャッシングの際は、温情で自身の籍を残して貰っていたゲーム会社の名前が役立ちました。社長は、「とりあえず、一度、会社に戻ってくれば?」と声をかけてくれます。職場復帰すれば、今後の収入の目処はなんとかつくでしょう。ただ勝田さんには、ある思いがあるのです。「このスランプを抜けた先に、ものすごい名曲が待っているんじゃないか?」と言う…。

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